〇〇過ぎるくらいがちょうどいいという話

仕事の準備とか
仕事で前もって準備が必要になるときにどれくらい力を入れればいいかわからないことが多々あります。
過去の経験や想像でこれくらい準備すれば当日問題なく乗り切れるだろうと思っても、いざ当日になるともっと準備できたなと反省することも。
おそらく自分の準備の基準が低かったのかもしれません。
何かの発表やお客様との面談などの場合には当日のひらめきで乗り切ったりすることもあります。
準備が不十分だった場合はあとは当日の自分に任せるしかありません。
当日の自分からクレームが入るでしょうけど。
逆に、そんなに力入れなくてもいいんじゃないか、心配しすぎじゃないかというくらい準備をしていったときは当日の心の余裕があり、仕事も問題なく乗り切れることが多かった経験があります。
まったく違った方向への力の入れすぎでうまくいかないパターンもありますが。
準備が必要になった際にどれくらい力を入れるかわからないときの基準を決めています。
迷ったときは「やり過ぎるくらいがちょうどいい」です。
特に大事にしている場面や仕事についてはそのように考えています。
失敗から学ぶことは重要ですが、できれば失敗しないようにする(迷惑をかけないようにする)ために準備したいので、準備の基準は大きめにしておきたいです。
人間は何もしないとより楽なほうを選ぶ生き物であると聞いたことがありますが、まさにそうだと感じます。
準備の基準がなくその時に自分の感情や感覚で進めると楽に終わらせるという基準に従ってしまいがちです。
「やり過ぎ」という基準があれば少なくとも楽であることからは外れることができるので安全かなと。
そんなことを頭でわかっていても完璧な人間じゃないので忘れてしまうこともありますが、自分の中で大事にしている基準の一つです。
人との待ち合わせとか
人と待ち合わせするときに遅刻するのはよくないですよね。
時間に余裕をもって行動することが大事ですが、行ったことのない場所や経路だと調べた時間より遅くなってしまうことがあります。
よく行っている場所だと感覚で想定の時間ピッタリに着いたりすることもありますがそれは特別かと。
そんなときの基準としてもやはり「早過ぎるくらいがちょうどいい」という考え方が発動します。
特に遅れたくないなという場面では行き方の検索をしているときに「これはちょっと早過ぎかもな」と思うくらいので行きます。
「これがちょうどいい」という感覚だとなぜか若干遅れてしまったりがあるので。
学生時代に学校に近い人ほどなぜか遅刻することがあったんですが、その感じですかね。
逆効果もあるかも
「過ぎたるは猶及ばざるが如し(すぎたるはなおおよばざるがごとし)」ということわざがあり、「度が過ぎるのは足りないのと同じく良くないこと」という意味だそうです。
なんでもかんでもやりすぎという基準はよくないみたいです。
特に頑張り過ぎてしまう人(そういう性格の人)は注意かもしれませんね。
私は手を抜いてしまう自分への戒めとしてなので、ことわざは特に気にしていませんが。
「楽しようとしちゃう」と「やり過ぎはよくない」が合わさって、結果として「ちょうどいい」が生まれている感じです。